コラム
子イルカの未来
公開日:2018.05.16
帝京科学大学生命環境学部自然環境学科准教授/鯨類研究者 篠原正典
優れた触覚が誘う悲劇
LAB to CLASSの教材『つなげてみよう!漂着物の赤い糸』の関連資料として提供したこの映像は、東京都の御蔵島の沿岸で私が2017年6月に撮影したミナミハンドウイルカの母子です。
子イルカの尾びれにからみつく長大な糸に、心にズキーッと正体不明の痛みを感じられた方、とてもイルカ想い、動物想いの優しい方だと思います。私も水中で見たときにはほんとに動転してしまい、息を止めて激しく泳ぎ潜っているはずなのに、息苦しさをまったく忘れてしまうほど、心がどこかにいってしまいました。
前回のコラム『水に生きるイルカたち(2)』で「(イルカの)優れた触覚は、『物』へも彼らを誘うようです。ちぎれた海藻や海洋ゴミであるビニールに触れ、それらを体の上を滑らせ、バランス良くヒレにひっかけて持ち運んだりします。」と解説させていただきましたが、彼らのこの能力、そして好奇心の高さが、ときにこのような悲劇を生んでしまいます。
母イルカは「大波小波」というニックネームがついた、島のガイドさんや研究者に長く知られてきたイルカ、つまり、昔からこの海に暮らしてきたイルカです。子イルカは、まだ母乳をもらっていて、大波小波に一日中寄り添って暮らすほどの未熟さでしょう。
イルカのこのような被害を、御蔵島で私が観たのはこれが2例目です。小笠原でも一度観察していますので、私のようなイルカの生息地をときどき訪れる研究者でも3例も観察記録していることになります。ですので、これは決して稀なことではないのでしょう。
この絡まった糸は、釣りや漁のためのナイロン製のものでしょうから、古びて切れてくれることなど期待できないでしょう…。付着生物が付き、重くなり、やがて尾びれの付け根に食い込みはじめ…やがてスムーズには泳げなくなっていき…。残念なことに先の2例はともに、子イルカの姿だけがやがて観られなくなりました。
イルカを救う根源的で恒久的で本質的な学びと態度は…
じつは、私自身はもう十年以上前から、海外のハンドウイルカの研究論文を通して、子イルカがこのような漁具(釣具)の被害にあっていることは知っていました。ですが、こうして目の当たりにすると、さすがに動揺を隠すことができません。
夜、宿に戻り、イルカにもウォッチングにも詳しい馴染みの地元のガイドさんに「あの長さなら、つかんで切ったりして、外してあげられるのではないか」と相談を持ちかけましたが、話し合いの結果、ヒト側が危ないから、やめよう、ということになりました。それでも、やりきれない想いは残ります。食い食われ、侵し侵され、目を背けたくなるような関係は野生状態でいくらでもあります。けれど、これは明らかに私たちヒトが犯した過ちが野生動物を苦しめている典型例です。なんとかしてあげたい、という気持ちが募るばかりです。
私は、私たちは、こんな現実を見せつけられたら、どうしたらいいのでしょう…。
ここまで読み進み、広くヒトと動物の良くない関係のことを考えてくれた方、ありがとうございます。じつは、この子イルカに関していえば、数週間後に無事に糸はとれたのだそうです。ほっとしますよね。でも、同じことはきっと繰り返されます。そうならないために、私たちはどういう想いを持ち、どういう態度で暮らしていけばいいのでしょうか。そして、海を学ぼうとする子どもたちに、どのような教育をしてあげればいいのでしょう。
イルカ並みに泳ぐエキスパートになる(そして、切ってあげる)ことでしょうか? 傷ついて弱ったイルカを直せる獣医学者になることでしょうか? いや、ほかに、もっと根源的で恒久的で本質的な学びと態度があるはずです。
このサイト(Lab to Class)には、その具体的な方法がちりばめられていると、改めて気づきます。
こんな心の「ズキーッ」が少しずつでも減っていく未来を信じて、一緒に学び続けましょう。